人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ミノリン教授のクリティカルな日々。いたずらターリーぬいぐるみ日記もいっしょ。 ★4月~9月までのドイツ研究滞在日記を半年遅れで掲載中です。 
by fantacl
秘密警察STASI記念館やヒトラー最期の地下壕
09年4月9日の日記  ☆STASI AUSSTELLUNG
Unter den Lindenと平行するフランツォージッシェ通りを南下していたらティアーガルテン手前で道がふさがる形になり、その奥にSTASI AUSSTELLUNG(秘密警察記念館)があることを知った。Eintritt frei(入場無料)で、歴史展示の他、当時の盗聴器やそれらの仕掛け方、隠しカメラ、盗撮の仕方、テープレコーダー、エプソン製のドットインパクトプリンター等が展示されていた。ベルリンには、ここの他スタジーの本部が本格的な展示で知られている。そちらにも機会があればいってみたい物だ。
秘密警察STASI記念館やヒトラー最期の地下壕_a0026528_1625924.jpg

☆Denkmal fuer die ermordeten Juden Europas
そのあとDenkmal fuer die ermordeten Juden Europas(虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑)を見た。モニュメントが配置された広い敷地の北寄りに地下展示室への入り口がある。入場者数を20名ほどに区切りながら開館している。地下の空間には、迫害虐殺をされた家系ごとのサンプリング展示があった。上部のモニュメントデザインが地下展示室にそのまま突き抜けたようなデザインで事の重みを表現していて印象的だった。 
秘密警察STASI記念館やヒトラー最期の地下壕_a0026528_16262944.jpg

ホロコースト記念碑の設計は米国の建築家ピーター・アイゼンマン。ベルリンはブランデンブルグ門の南側すぐの一等地約1万9千平米に石碑2,711基がグリッド上に並ぶ、本当に巨大なモニュメント。厚み約1m×横幅2.4mのコンクリートブロックが、高さ0mから約4mまで様々な高さで連なっている。地面もゆったり波打っているため、ブロックも地面に添って自ずと波打つ壮大な景観を見せている。商業開発をすれば、相当な施設が出来る立地をこれだけ広く使った記念施設も珍しい。ドイツがそれだけホロコーストに対して深い反省を表明している証としての施設だ。
秘密警察STASI記念館やヒトラー最期の地下壕_a0026528_16261850.jpg

秘密警察STASI記念館やヒトラー最期の地下壕_a0026528_16272819.jpg

さらに、テイーアーガルテン近くでナチ党本部あとの説明パネルを発見。今は小さな公園とアパートになっていて、この辺の地下壕でヒトラーが愛人エバーブラウンと服毒自殺したと、自転車によるベルリンツアーのガイドが話しているのを横で聞いたりした。ここから東に300メートルも行けば、ポツダマープラッツとなり、付近にはゲシュタポ跡地とその後のベルリンの壁が重なるトポグラフィーオブテラーがある。
秘密警察STASI記念館やヒトラー最期の地下壕_a0026528_8491162.jpg

☆食事事情
ドイツの黒パンにはVollkombrotという発酵させたような熟成パンがある。日にちが経ってもしっとりしていて堅くならないところがよい。もっとも初めから堅いといった方が正解。穀類の粒状がハッキリしていて芯があるのだ。スーパーでの買い物は、まだなれないが基本食材は日本より二割方安い感じだ。パプリカとマッシュルーム、ズッキーニにハムを加えて、オリーブオイルに塩こしょうでイタリアンバジルとニンニクのシーズニングをかけてフライパンで炒め、しっかり昼と今晩の食事用の料理をこなした。
# by fantacl | 2009-10-16 19:13 | ドイツ滞在
09年4月7日、ドイツへ出発日記記録-その2
ICEにてフランクフルトからベルリンへ移動

★ユーレイルパス
ANA NH209フランクフルト16時35分着。定刻より少し早くフランクフルトにランディング。天候良好のうえに、思っていたより気温が高い。相模原と変わらないかこちらの方が暖かい。木々の新緑や白、黄、ピンクなど何種類も花木がみられ、すでに5月ではないかと思ってしまう。これも暖冬のせいなのか? 

フランクフルト空港駅のライゼビュローでユーレイルジャーマンパスのバリデート。ついでにベルリンまでの列車を尋ねる。ICE1090はフランクフルト中央駅より18時13分発でベルリン到着は21時48分着予定。カウンターの若い女性は予約した方がよいという。確かに通勤時間帯でもあり11ユーロ払い指定席にする。フランクフルトでサンドイッチとミルヒカフェー5.6ユーロを仕込んで搭乗。ざっと見回したところ50%乗車で予約までは必要なかった。

ユーレイルジャーマンパスはフレキシータイプという一ヶ月内の任意の5日間を有効に使えるパスで、二等車だと202ユーロ、日本での購入が25000円のパスだ。フランクフルト→ベルリンは片道一回で113ユーロだから、その割安感はたいしたものだ。
09年4月7日、ドイツへ出発日記記録-その2_a0026528_16173616.jpg
※写真は旧東ドイツ生き残りのアイコンであるベルリンのアンペルマン。

★財務計画が、、、
今回の旅は列車を選択しすぎである。乗り継ぎでベルリンへ入る航空券の方が楽で早い。この点はANAよりフルトハンザの方に分がある。鉄道移動は重い荷物を抱えての乗り換えの面倒が増え、移動に5時間も追加となるが、車窓からの風景の移ろいに現地状況を読み取るごとが出来るメリットがある。

飛行機の中でも少しのどが痛く、また全体にけだるくなり風邪の引き初めの兆候が出たので、トローチと葛根湯を服用した。またICEへ乗り換えてからも、急にのどがからからで額が汗ばみだるくなったのでトローチ+葛根湯で対処。現在小康状態だが今度は胃が痛くなったりと、出発前二日間で7時間しか眠れていないことがったたっている。
09年4月7日、ドイツへ出発日記記録-その2_a0026528_0443734.jpg

※写真は聖人ゲルトラウトの像。Spree運河がボーデ美術館のところで二またに分かれた片方のKupfer graben運河奥右岸が2ヶ月半お世話になるアパートのある旧cölln村だった中州。

夜22時に到着するベルリンでは、ミッテの二つ星ホテルm68に一泊となり、このための60ユーロももったいない話だ。飛行機乗り継ぎなら7日の時点でアパートに入れたわけだ。やれやれ、節約大作戦も座席予約やホテル一泊代などすでに71ユーロ(9600円)も余分に払っていることになる。(精算時に二日目からのアパート代の一泊分23ユーロにまけてくれた。約40ユーロ安くなたのでこれは杞憂に終わった)
また、2月に125円だった対ユーロ為替が140円となっていることも痛いな。初期の計算が10%も違ってしまう。為替変動は、Mac Book Air のダッシュボードにCurrency Conberterというウイジッドをインストールしてチェックしている。
09年4月7日、ドイツへ出発日記記録-その2_a0026528_1141538.jpg

# by fantacl | 2009-10-15 18:18 | ドイツ滞在
09年4月7日、ドイツへ出発日記記録-その1
ドイツサバティカル滞在を終え帰国してからすでに一ヶ月たとうとしています。だいぶブログ更新をサボりましたが、私にとってのサバティカルとはいったい何だったかと言う命題や、ドイツと日本の何がどう違い、示唆や刺激に富んでいたかなどを探るつもりです。一ヶ月たち忘れてしまったことと醸成されたことが綯い交ぜにあると思いますが、それらを見定めるためにも4月7日から9月17日までのドイツサバティカル滞在記録を順次アップすることにしました。

★07/Aril  いよいよ出発
5時起きして、出発準備。前日は、新年度学部ガイダンスののちキックオフ会が夜21時半まであり、帰宅は22時頃となる。半年ドイツ滞在用に購入したウエスタンデジタルの外付けハードディスク”マイパスポート”HD500Gへのファイルコピーなどで時間を取られ、結局3時間しか眠れず寝不足気味。早朝4時半頃起床し6時5分の予約タクシーで町田へ。6時31分のあさぎり号で新宿。8時2分の成田エクスプレス11号で成田へ。

成田空港第1ビル9時31分着。南ウイングの4階出発ロビーで100リットルの旅行バッグに詰め込んだ重たい本を取り出し機内持ち込み手提げ袋へ移し軽くする。ANAカウンターで21.1kgの計量だが追加料金はなし。本を入れたままだと優に30kgにはなったはずで、これだとさすがに追加料金だっただろう。

☆フライトはANA NH209の成田11時30分発、フランクフルト16時35分着。
 
09年4月7日、ドイツへ出発日記記録-その1_a0026528_1559323.jpg

★ラッキーなことにビジネスクラスへ
ネットでエコノミーの座席予約をしたのに満席とのことでビジネスクラス16K席へ移動とのこと。クラス最前方窓際でかなりラッキーなことに。ビジネスクラスはエコノミーの約倍スペースあり、リクライニングはほぼ水平で非常にくつろぐ。右足のうっ血感が少なくてすむ。食事メニュー、スイーツ、ワイン日本酒と当然だがエコノミーよりグレードが高い。およそ4時間は眠ることが出来たと思う。iPodでブラームスバイオリンソナタ、ギドンクレメールの演奏を三回ほど聞く。

機内でアカデミー外国映画部門賞で話題となった「善き人のためのソナタ」"Das Leben der Anderen(他人の生活)"を見る。東ドイツの秘密警察シュタージと監視される劇作家の話。共産時代の裏側の非人道性がよく描かれている。また、芸術とは何なのかということ、芸術家はどうあるべきかを考えさせる。ベルリンの壁崩壊から18年ほども経ってからやっと描きえた内部ドラマ。ドイツ語に日本語字幕、ドイツ語が思いのほか、聞き取れたように感じたのは台詞がシンプルだからか?
09年4月7日、ドイツへ出発日記記録-その1_a0026528_161827.jpg

# by fantacl | 2009-10-15 17:44 | ドイツ滞在
サバティカルでベルリンに滞在しています。
4月7日に成田を出発して、現在、ベルリン滞在が一ヶ月を超えました。
6月上旬まで、ベルリンの中心と言っていいところに住んでいます。その後ミュンヘンに移動してドイツには、9月17日まで滞在します。

ベルリンでは、フンボルト大学の教育学部にある小学教育のワークショップについて取り組んでいる研究室にお世話になります。難しいことを簡単に体験的に楽しく理解していけるかを研究しているところです。

ミュンヘンでは、「遊びと文化・教育的な取り組み」という名前のNPO法人にお世話になり、6月から8月にかけ、様々な形態の遊びと学びについてワークショップを通して体験してきます。

全体的に午前中はドイツ語学校通いをしています。30年前の学生時代にかじっただけなので、すごいブランクなので、基礎から立て直しています。クラスは国際的で大変刺激になります。

ベルリンのアパートは、東京で言えば美術館の沢山集中する上野か官庁の集中する千代田区に相当する所です。旧東ベルリン側になりますが、美術館島(Museum Insel)の南端、Spree運河のKupfer-grabenに面していてベルリン一古い現存する鉄橋であるJungferun Brükeが目の前にあります。ちょうど、ドイツ外務省の東側になります。アパートの窓からは、外務省の屋上に設置されている不思議な人型風見オブジェを毎日見ることになります。

中心地なのにとても静かなところです。ここから北に5分も歩けば、北にベルリン大聖堂、東にテレビ塔、西にドイツ歴史博物館やフンボルト大学、国立オペラ座を擁するウンターデンリンデンです。南側に行けば、メルキッシェス美術館やミューレンダムという運河の水門などがある、ベルリン発祥の地、旧ケルン村です。このアパートもケルン村エリアに属します。東に行けば、ニコライフィアテルといって、まさに旧ベルリン村です。毎日各地からの観光客があふれているスポットです。

長く更新が滞りましたが、この研究休暇準備や日々の忙しさ、慣れない環境、ネット回線の事情などがあり、留守になりました。午前中は、ドイツ語学校通い、午後は毎日ではありませんが、フンボルト大学の教育学部のゼミに参加しています。
これから少しづつ、ブログへの滞在報告を充実させていこうかなと考えています。
サバティカルでベルリンに滞在しています。_a0026528_13352869.jpg
サバティカルでベルリンに滞在しています。_a0026528_13353811.jpg

# by fantacl | 2009-05-11 06:37 | ドイツ滞在
女子美スタイル☆最前線展の実行委員長をやりました
横浜バンクアートスタジオNYKで11日から開催中です。
Joshibi Degree Show 2008 各科専攻の垣根を越え、短大から大学院までの卒業、修了年次学生の選抜作品展です。下は、大入り満員のオープニングパーティー。
女子美スタイル☆最前線展の実行委員長をやりました_a0026528_0691.jpg
女子美スタイル☆最前線展の実行委員長をやりました_a0026528_08265.jpg

5.5メートルの天高を生かした大型インスタレーションが多く設営はだいぶ苦労しました。表現手段で分かれている現在の学科専攻の意味も何処まであるのか、領域横断型ミクストメディアの作品が増えてきています。
女子美スタイル☆最前線展の実行委員長をやりました_a0026528_0121313.jpg

# by fantacl | 2009-02-14 00:12 | 美術と展覧会


カテゴリ
タグ
記事ランキング
最新の記事
検索
以前の記事
LINK to my other Site & Blogs
ブログジャンル
その他のジャンル