ミノリン教授のクリティカルな日々。いたずらターリーぬいぐるみ日記もいっしょ。 ★4月~9月までのドイツ研究滞在日記を半年遅れで掲載中です。 
by fantacl
タグ:Diary ( 91 ) タグの人気記事
ゼーネフェルダー、ローザルクセンブルグ、ケーテコルビッツ、、
2009年5月16日記  最近のベルリン探索成果です。

通っているドイツ語学校は、ベルリンの北側、プレンツラウアーベルクという、かつては東ドイツ国家公安人が多く住んでいて恐れられていた地域にあります。東西統一後の今は、街並みの美しさ、家賃の安さ、緑の多さで、学生や芸術家を中心にベルリン一の人気スポットだそうで、安くて素敵なそれも多国籍なレストランが多いです。ベルリン全体もそうですが、確かに家賃も食費も東京の6割くらいの感じです。
↓[プレンツラウアーベルクはゼーネフェルダー駅よこで、タウンウオッチングをする人々。]
a0026528_0353673.jpg

昨日は午前中にあるドイツ語学校の授業あと、とぼとぼと南西方向の横道にそれて1時間半くらい歩きました。途中の市民公園でハインリッヒ・ハイネの銅像を見つけてカメラ小僧に変身。ハイネはあちこち住居を替えていますし最後はパリで死去したそうですが、ベルリン滞在歴もあるようで、きっとこのあたりに住んでいたのでしょう。

先週も、南側別ルートを探索していたら奇妙な題名の刻み方がしてある像を発見。手前に天使のような子どもが二人彫刻されていて、一人は台座に逆文字(鏡文字)で、像の主人公の名前らしきものを描いている姿です。もう一人は鏡を持ってそれを映して読んでいるのです。ここはそのまま地下鉄U2の駅名になっていてゼーネフェルダー駅があります。いたい全体ゼーネフェルダーって誰?と思い、帰ってからwikipediaで調べたところ、石版画(リトグラフ)技法の発明者だということがわかりました。彼はミュンヘンの方で活躍したそうですが、おそらくこのあたりにも住んでいたことがあるのでしょう。
↓[石版画の発明者ゼーネフェルダーの像。地下鉄U2の駅名にもなっている。]
a0026528_035713.jpg
a0026528_0352189.jpg

隣の駅は、1919年代にドイツで起こった共産革命事件の首謀者で女性活動家のローザ・ルクセンブルクの駅です。リープクネヒトという同志と一緒に武装蜂起を仕掛けたのですが、400人の仲間と一緒に国防軍に鎮圧されて、銃床で殴り殺されて川に投げ捨てられ、半年放置されてしまったという経歴だそうです。共産東ドイツ時代は、悲劇のヒロインとしてなかば神聖化されていたようです。何とも凄惨だけど、この革命が成功していたらナチスのホロコーストも、もちろん大戦そのものも無かっただろうと思ったり、、、でも共産化したドイツは一体全体???とか色々興味深いのでした。今は、彼女のことばが刻まれた銅版が直径100メートル位にわたってあちこちに埋め込まれているのみです。 
↓[WikiペディアよりRosa Luxemburg マルクス主義の革命家]
a0026528_18172552.jpg

西に歩けば、ベルリンの壁の跡地で、ここに逃亡トンネルがあった、ここの建物から飛び降り逃げおおせた。この教会は壁の緩衝地帯に取り残されて、1984年に東ドイツ政府によって爆破、破壊されてしまったので現在この仮の姿の教会になっている、、、とかとか、まさに現代史の中をさまよわされる感じです。壁そのものと壁から東側にあった約20メートルほどの緩衝地帯も保存されている場所にも出くわしました。ヨーロッパのあちこちから現代史を勉強中の高校生や大学生を乗せている団体バスがやってきていました。
↓ベルナウアー通りのベルリンの壁跡。地面に二列の煉瓦が埋め込まれているところが壁跡。
a0026528_0385011.jpg

↓ベルナウアー通で起こった壁にまつわる有名な事件跡を示す碑。
a0026528_039218.jpg
a0026528_0391476.jpg

二日前は、ドイツ語学校B1クラスの経歴がまちまちのフランス人三人と大手旅行会社を退社して来独中のサチコと5人でランチを食べに学校から南下して、女流彫刻家として有名なケーテ・コルビッツ公園近くのイタリアンに行きました。そこにはコルビッツの一見いかめしい感じの像があるのです。

ケーテ・コルビッツは第一次大戦で末の息子を亡くし、第二次大戦で長男の息子すなわち孫を亡くしています。一貫して貧しい民衆を描いたり彫刻に作っていて、戦前にかなり認められた作家でしたが、ナチスに退廃芸術家指定を受け戦争中は表だって活動できなかったそうです。ウンターデンリンデンのフンボルト大学とドイツ歴史博物館の間にあるベルリンの「ノイエ・ヴァッヘ」(国立中央戦争犠牲者追悼所)内部中央にはコルビッツ作の死んだ子供を抱きかかえる母親の像「ピエタ」がぽつんと一つだけ設置され、暗黙のうちに強い反戦をうったえています。残念なことに彼女は戦争終結直前になくなったそうです。これもウイッキペディアの記事からですが、、。

他にも、最近は、ドイツ技術博物館で"mathema" マセマという数学と自然の関係性を特集した企画展示を見ました。企画展"Die Mathematik die Sprache der Natur ?"「数学は自然が持つ言葉か?」あるいは、「自然は数学で描写できるのか?」と訳せるかな?!?
↓[ドイツ技術博物館屋上にはベルリン封鎖の時に生活物資を届けるのに活躍した米軍のC-47型輸送機。Museum für Entdeckerの表示はMuseum for Discovererの意味です。
a0026528_0452880.jpg
a0026528_045412.jpg

ドイツ技術博物館は滞在三時間では半分も見ることが出来ませんでした。
↓ Die ersten Computer der Weltと世界初のコンピューター発明者として、Konrad Zuseを紹介している特設コーナーがありました。みなさん、コンラート・ツーゼって知っていましたか? 僕はここを見るまで知りませんでした。 
a0026528_045538.jpg
a0026528_046493.jpg
a0026528_0462448.jpg

今週末は家にいてドイツ語の宿題と、水曜日の夕方フンボルト大学のハルトムートゼミで予定されている立方体万華鏡ワークショップの準備をして過ごします。
[PR]
by fantacl | 2009-11-13 00:41 | ドイツ滞在
やっぱりB1クラスにしよ〜っと
2009年5月4日記 
a0026528_851899.jpg

今日は学校の新コース初日でした。行ったらクラスが確定していなくてA2かB1どっちにする?? と、その場で決めたのでした。で、いぇいやっとB1のクラスに入りました。

自己紹介やら、何をしにドイツに来たのかとか、今までどうやってドイツ語勉強をしていたのか?とかお互いにお話ししたり、クラスで発表したりするのです。A2のクラスメイトが二人だけで、他の6人は新人です。
フランス人が3人、オランダ人が一人、どこだか聞きそびれた西欧の子が一人、日本人の30代の女性が一人です。口火はミノリン教授が切って、結構ぺらぺらと適当なことが口をついて出てきてまあまあのできでした。間違いだらけのドイツ語でも、しゃべるが勝ちなのです。

二人組になるときは、隣のフランス人のデイビッドと、ああだこうだと話します。彼は31才の独身で、生活用品のパッケージ技術者だそうですが、ただいま失業中で、新しいチャンスをものにするにはやはりドイツ語ができないと不利だということで勉強に来たのでした。そういう現在失業中の人は結構多く、他のフランス人もほとんど動機は同じです。あと、レオナルド奨学金というのをゲットして来独している生徒も多いです。
a0026528_8513789.jpg

メキシコから来た21のカルロスは学生ですが、ドイツで自然エネルギーの会社を作るのだといっているし、スロバキアのマヌエラも次のステップをドイツでつかみたいと、みんな生活に直結する能力として、ドイツ語修行をやっています。あ、それから基本的に、みなほぼ英語が出来ます。おまけにイタリア語だのスペイン語だのオランダ語もOkよ~~みたいな生徒ばかりです。

スロバキアのマヌエラは7~8月のハイシーズンは授業料が高くなるし、生徒も多いので、その期間はドイツでのアルバイトに専念して、秋になったらまた復学すると言っています。西欧系の生徒達は、3ヶ月滞在でそこそこ普通の会話は出来、6ヶ月以上、一年くらいいるとすでにネイティブレベルで不自由なく暮らせるところまでいってしまうようです。
a0026528_22572786.jpg

英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語その他、ヨーロッパ語族は表記がアルファベットなので、イスラム圏やアジア圏の全く違う文字を覚える必要がありません。その分、強い方言を覚えるような所があるので、半年程度でも身につけることが出来るとも言えます。
でも片方で、アジアからの留学生やイスラム圏その他異文字異文化を持つ国々からの生徒も日本人よりうまく話す場合が多いので、一概にはいえません。
a0026528_22581219.jpg

日本人のように、受験英語を何年やってもほとんどしゃべれないという状況は、世界的に見れば、実に不経済で時間も浪費のばかばかしいやり方の、まか不思議な現象と捉えられても仕方のない現象です。戦後一貫して語学教育の戦略と進化のなさは、国際競争力を考えると本当にマイナスです。
外国人にドイツ語を教えるメソッドは、相当鍛えられ工夫され合理的になっていると思います。解説本もたくあんあります。それに比べ、日本語を外国人に教える教本の種類はとても少ない現状です。
a0026528_2257966.jpg

[PR]
by fantacl | 2009-11-11 08:39 | ドイツ滞在
東ドイツで生き残ったほぼ唯一の国営企業とは、
2009年5月3日記  Museum Porzellan-Manufaktur Meißen
マイセンを一日、ドレスデンを次の日にと思って二泊したのに、けっきょくマイセンで大半の時間を使ってしまいました。州立マイセン磁器工場は統一後東ドイツで生き残ったほぼ唯一の企業だったとは驚きです。現在は、ザクセン・アンハルター州立の優良工場です。
工場と美術館は立派なモダンなものでしたし、団体やら個人やら観光客がひっきりなしに来ます。日本からは、お金持ちそうな夫婦や家族が何組か来ていました。ちょっとお話しした人は、お医者さんでした。
↓[マイセン磁器美術館]
a0026528_22305173.jpg
a0026528_2231754.jpg

真新しい美術館の前には、対照的に空き家になった立派な建物が寂しくさらされています。ちょっと東に戻った旧市街からアルブレヒト城までも、さらに空き家が目立ち、みんな何処へ行ってしまったのかな? と心配になりますが、この風景は私の生まれ故郷は群馬県の桐生を彷彿とさせるものが、、、。かつての隆盛と栄華を誇った織物産業。その後の衰退と高齢化、不況が一気に重なったような街、桐生、、、。
↓[マイセン磁器工場近くの空き家、空き工場群]
a0026528_22301174.jpg
a0026528_22303664.jpg

でも、マイセンにはまだ朽ちない煉瓦や石造りのお城と町並み、それから生きているブランドがある。日本の場合は木造に加え湿気と台風で、人が住まなくなればあっという間に廃屋になってしまうところが、こちらはとにかく乾いている上に台風がないし煉瓦や石なので腐らず残るのですね。
↓[磁器製作の工程や道具を説明するコーナー展示]
a0026528_22312388.jpg

↓[マイセンオリジナルのマークデザインの変遷]
a0026528_22314699.jpg

マイセン焼きは州立工場がほぼ独占で、益子や有田のように町中が陶器の街で、小さな工房や窯が至る所にあるというわけではないというのも知らなかったことです。
↓[ちょっと難ありのアウトレットコーナー、でもブルーオニオンのティーカップ一セットが一万円]
a0026528_2232714.jpg

↓[新作とおぼしき寿司用の皿シリーズ宣伝ポスター]
a0026528_22322085.jpg

マイセン工房見学ツアーはしっかり設計されたものでした。実際の工房内部は見せず、見学用にきちっと5テーマくらいの製作工程が部屋ごとに作られ、そこを順に案内されます。選ばれた職人が作業説明する展示で、あくまでも展示ディスプレイであって工場見学ではない、美術館の一部でした。
写真は自由で、フラッシュもオーケーです。どんどん撮ってくださいといわんばかりでしたが、それは、品質管理に自信があるから出来ることでしょうし、撮ってもらった方が結局は宣伝になるとの判断からでしょう。
a0026528_22323125.jpg
a0026528_22324360.jpg
a0026528_2243998.jpg

[PR]
by fantacl | 2009-11-09 22:33 | ドイツ滞在
マイセンはアルブレヒト城に幽閉された飲んだくれのベドガー
2009年5月2日記 
a0026528_2257259.jpg
a0026528_22582334.jpg

土日を利用し、ベルリンを抜け出して、今度は列車で2時間ほど南下したMeißenです。
2日の夕方の列車だったので、マイセンの宿に着いたのは夜の10時前でした。
ドレスデン経由でマイセンまでは3時間半かかりました。宿は一泊5000円の小さなGold-Grundホテルで、山の傾斜地にたっています。部屋は天井が半分傾斜して天窓が付いています。周りは豊かな新緑で、軽井沢のようです。
a0026528_22583463.jpg

a0026528_22585217.jpg

今日は、朝8時半から夕方6時半まで、マイセンだけを散策しました。
マイセンは思ったよりも小さな街で、人口2万8000人位ということですから、私の故郷、群馬県の桐生よりず~っと小さく、隣の大間々くらいです。マイセン自体は900年頃から発祥した街だそうですが、1710年ころに、ザクセンの王様であるアウグスト二世強健王に使えた錬金術師のヨハン・フリードリッヒ・ベトガーが、お城で開発したのがヨーロッパ初となるマイセン磁器だったとう話が面白いです。  
 ※アルブレヒト城
a0026528_2259531.jpg

a0026528_22595277.jpg

当時は、東洋の磁器、中国の景徳鎮や有田焼伊万里焼は西欧にとってはあこがれの芸術品だったということで、何とか自前で作れないかというのが大課題だったようです。後日、詳しい知人から聞いたところでは、諸国との戦いに使う軍資金を得るためにも磁器の自前開発生産が至上命令だったようです。この地方に産出するカオリン(カオリナイト・珪酸塩鉱物)を使うことで、1300度もの高熱焼成に耐える磁器が初めて出来たという話です。  ※↓飲んだくれ錬金術師のベドガー 
a0026528_230724.jpg

※↓磁器の開発に成功して、アウグスト二世にお披露目するベトガー。だが彼は秘密保持のため幽閉されてしまう。
a0026528_2302217.jpg

錬金術師ベトガーは、この開発を大いに賞賛されたもの、機密保持のためにお城に幽閉された上に、錬金術などによる毒素の強い物質を扱っていたせいもあって37才で死んでしまうのでした。今日は、このお話の舞台となった、アルブレヒト城内を巡るのに半日かかってしまいましたが、内部の天井ゴチック装飾の見事さに圧倒もされました。
a0026528_2303823.jpg
a0026528_2305213.jpg

1000年の歴史あるマイセンの街は、お城を頂点とする適度な勾配がとても古い石畳の路地をさらに魅力的な複雑な物にして見せてくれています。ゴシックやバッロックなどが混じった街並みは、なんとも見ていて飽きないのですが、やはり廉価な日用雑貨が高価なマイセンを圧倒しているようで、マイセン市経済はそれほど芳しいものではない様子で、至る所に廃屋や空き家が目立ちます。
a0026528_231353.jpg

東西ドイツの統一ショックに加えて、中国産などの廉価品の蔓延、加えて昨今の不況は、トリプルパンチとなってこの小さなおとぎ話のような街を蝕んでいるようです。

明日は、朝一番で州立マイセン磁器工場にいきます。宿から目と鼻の先なのに、今日は街とお城に出かけた関係で、行けなかったのです。印象深いイントロのホームページがあります。
http://www.meissen.de/
[PR]
by fantacl | 2009-11-06 22:19 | ドイツ滞在
ベルリンの壁さらに旧ユダヤ人街散策、
2009年5月1日記 
ベルリンの北はプレンツラウアーベルク地区にあるドイツ語学校から、西に歩いて15分くらいのベルナウアー通りに写真のような壁が残っています。ドイツはもちろんイタリアやスペインからと思われる高校のツアーも来ていて、現代史の現場をしっかり見ていくのだなと思いました。日本人はこの辺まではなかなか来ていません。
※ベルリンの壁追悼施設 http://www.berliner-mauer-gedenkstaette.de/index.html 記念碑と資料センターを兼ねた追悼施設。
a0026528_2214519.jpg

a0026528_2271783.jpg

ゴチック調の教会が壁の緩衝地帯に取り残されていたのを爆破して壊された跡に、楕円平面で土でできた壁を持った新しいパビリオン型の教会が建っていて、なかなか興味深い建築空間でした。東西ベルリンの境界線上に建つことになってしまったこの教会は、なんと「和解教会」という名だったのです。
a0026528_2125918.jpg
a0026528_21252055.jpg
a0026528_2125333.jpg

↓壁が崩壊する4年前の、1985年1月28日に爆破された「和解教会」
a0026528_21255343.jpg

そこから南の中心街方向へ20分くらい戻ると、グローセハンブルガー通りにでて、そこは旧ユダヤ人街です。1938年の11月9日夜に、ナチスによりこの辺のお店のショウウインドーが全て割られ、路に飛び散ったガラスがまるでクリスタルのようにキラキラしていたことから、その晩をクリスタルナハトといい、毎年ユダヤ人迫害記念日となっています。それから終戦まで、あの群像のところにあったユダヤ人学校や老人ホームに集められた人々が、どんどんアウシュビッツなどに送られて行ったそうです。

※虐殺されたユダヤ人達の像。このあたりはかつてのユダヤ人街で、55000人もの住人がナチスによりゲットーに連れ去られたということです。
a0026528_21391423.jpg

人々が希望無く不安の中にたたずむ像のすぐ裏に、ハケッシャーへーフェという中庭が複雑に入り組んだ建物があって、おしゃれなプティックやら、画廊などがたくさん入ってます。アンペルマンショップの一番充実している店もありました。画廊もこの周辺で8件くらい見ました。日本人の個展もありました。またこの辺のメインストリートであるオラニエンブルガー通りは、ベルリン一多国籍になっているようで、インド、ベトナム、タイ、トルコその他その他のレストランや風俗が入り乱れています。今は、寿司もそうですが、むしろタイ料理、ベトナム料理に人気が集まっているようです。 ※グレートハンブルガー通りの元ユダヤ人の家
a0026528_21461511.jpg

a0026528_2223120.jpg

※JG1881年からHIER WOHNTEここに住んでいたMAS RAESENERさん(ユダヤ人)は、1941年にDEPORTIERT追放流刑になり、ERMORDET IN殺害されました, tODZで。場所は収容所の一つです。下の人はRIBAとなっています。
a0026528_2224515.jpg

というように、ちょっと歩くと、芸術の歴史、発展の歴史、迫害の歴史、冷戦の歴史に次々と遭遇するのです。ベルリンは何とも複雑な街です。 ※ハッケッシャーへーフェ
a0026528_21475032.jpg

こちらでの滞在は、ホテルが提供しているアパートタイプの宿泊サービスを利用すると安く上がるようです。今借りている部屋もその一つです。行く先々の滞在をアパート型にして連続利用すれば、一人一泊20euro位に押さえられます。
[PR]
by fantacl | 2009-11-06 21:16 | ドイツ滞在
ドイツ語のレベル、TANDEM Berlinのクラス
2009年4月30日記  ドイツ語学校のA2クラスは、8週間節目のおしまいの日でした。
a0026528_0125234.jpg

ぼくは4月上旬からの途中参加で後半三週間しかやっていないので、もう一度A2を取った方が良いのではないかという判断で、B1には進まないつもりです。クラスメイトのほとんどはB1に行くようですが、イタリア、スペインから来た子たちは、結構適当な出席状況で、文法もいい加減な割に、口数はぺらぺらと積極的なので何とかなってしまうようですが、ミノリがB1に行かないといったら驚いていました。それもそのはずで、朝の最初に先生の質問「昨日は何をしましたか?」の時に、一番ちゃんと話を作って報告をするのは中年のぼくなのでした。
a0026528_013768.jpg

※↓今日はお化粧してないからダメ!とマヌエラ
a0026528_0131898.jpg

クラスの段階は、日本のドイツ語学校の様に細かくはなく、A1,A2,B1,B2,C1,C2の六段階です。A2は最も重要な文法項目が詰まっています。特に不定冠詞定冠詞の格変化、形容詞の格変化、動詞の変化、過去完了、過去形、、、頭の中のダイアグラムをめまぐるしく参照して、ぴたっと応えないと駄目です。語順が日本語に似てフレキシブルな範囲が多いので、話は組み立てやすいです。思いついたところこら話し始めても、文の後半で何とかまとめてしまうということができます。
でも、正直なところ基本的な単語量が英語に比べ圧倒的にたりない問題も歴然としてあるので、深い話はなかなか出来ないのが歯がゆいです。
a0026528_0133493.jpg

a0026528_0134850.jpg

ベルリンの学校はあと5週間やり、合わせて8週A2完了ということで、ミュンヘンへ移動になります。ミュンヘンではB1を希望しています。11週受けるつもりなので、B2の中間までは行きたいです。でもその後、日本に帰ってからどうするのでしょうか???
a0026528_0142244.jpg

さて、明日はメーデーで祝日です。ドレスデンとか一時間半でいけるので、完全に東ドイツ側だった街をしっかり見てこようかと思っています。
a0026528_0143638.jpg

[PR]
by fantacl | 2009-11-06 00:16 | ドイツ滞在
リューベックで不思議な出会い
2009年4月26日記  そういえば、リューベック二日目の日曜日に、面白い人に会いました。 
※写真はリューベックの街角。
a0026528_7574274.jpg

人形劇人形博物館に着いて、見るより先に空腹を何とかしたいので、カフェでなにかケーキでも食べられませんかね〜と受付の人に言っていたときです。  ※写真は人形劇場外観。
a0026528_7582321.jpg

横から、「今日は! お一人で旅行ですか? ドイツはいかがですか?」と体格の良い50前後と思われる立派なひげをたくわえたオジサンが日本語で話しかけてきました。とても上手な日本語で、自分は日本に4年間いましたと話し始めました。   ※写真は人形劇人形博物館に展示されている様々な人形たち。
a0026528_7583440.jpg

彼は英国はウエールズの出身で日本文学と文化を専攻したそうです。今はハンブルクで仕事をしているけれども、85年から89年まで、最初の一年は北大で日本の研究、次の4年間は西武百貨店勤務だったそうで、「今までの人生の中で一番素晴らしいときでした」としみじみというのです。話が盛り上がりそうになったのですが、見たかった隣の人形劇場の公演が迫ってきていたので、名刺の交換をして分かれました。
a0026528_75848100.jpg

リューベックのプッペンテアター(人形劇場)は、Figurentheaterといって、建物の外側は16世紀のもので、内側は最近内装したらしく、すっかりモダンでした。50人ほどの小劇場に観客は大人が7人と、子どもは兄弟の一組二人だけでした。どうやら、ドイツ人は天気良い日は、外でバーベキューか日向ボコをしているので、薄暗い美術館や劇場などには好んで行かないということらしいです。
http://www.figurentheater-luebeck.de/
a0026528_7585885.jpg

"Die Gänsehirtin am Brunnen"という演目なので「泉のそばのガチョウ飼い娘」とでもいうのかな。一時間の公演は、男の子とリューベックらしく岩塩の話だっと思うので、どうも題名と内容が一致しません。影絵が基本の女性演者一人の舞台です。一人で語りから15cmくらいの人形を操ることまでをこなします。照明や音響、小道具などのサポートに若い男性がついていましたが、演じる基本は一人です。
http://www.1000-maerchen.de/fairyTale/920-die-gaensehirtin-am-brunnen.htm
伝統ある人形劇場、小さな舞台に心温まるゆったりとした演じ方、素晴らしくよく通る声に豊かな時間が過ぎました。
a0026528_75984.jpg

さて、観劇後、人形博物館の方もじっくり見て、リューベック名物の門の中の博物館もしっかり見て、夕方になったのでベルリンへ帰るため駅に向かいました。そしたら、ホームでまたあの髭のオジサンに再会しました。
ぼくの仕事のパンフも渡して、ハンブルクまで約1時間、ずっと日本語で話しました。「あの時代の西武は絶頂期でした。堤社長に挨拶をするときは90度に体を折り曲げてお辞儀をしましたとか、挨拶は日本の美点です、ウエールズ人も同じです、ハンブルク人は本当に挨拶がひどいです」などなど、、、。
a0026528_7591978.jpg

フォトショップやイラストレーターで有名なアドビで、日本語と中国語でプログラムがちゃんと動くかどうかのテクニカルな仕事をしているそうです。次回ハンブルクへよることがあれば、是非自分のところへ泊まってくれとなかなか親切な紳士です。彼の名前はGolesworthyゴールズワジーさんで、ときどきウイルヘルム一世そっくりさん役として、仕事もしているそうです。
www.abeleri.com www.ungthumah.com www.majestaet.com
a0026528_7592947.jpg

次の日ベルリンで、郵便局に行った帰りに近所の歴史地区ニコライフィアテルをぶらぶらしていたら、日本人とおぼしき青年が一眼レフデジカメでしきりにあっちこっちを撮っているので、声をかけました。どこぞの大学院でナノの物理をやって日立勤務二年目だそうです。連休に有給をくっつけて10日間のオランダ、ドイツ、チェコ旅行だそうです。なんと、光で物性を調べる研究をしていたようで、作品パンフレットを見せたとても感激してくれました。
、、、というような感じで、犬も歩けば何とやらの日々です。
a0026528_7593995.jpg

[PR]
by fantacl | 2009-11-05 07:48 | ドイツ滞在
ハンザ同盟のリューベックへGO!
2009年4月25日記 
◎思い切って週末一泊旅行として北ドイツは世界遺産のLübeckへHamburg経由で行って来ました。
a0026528_022537.jpg

a0026528_023945.jpg

a0026528_03153.jpg

ハンブルク経由で北ドイツはハンザ都市のリューベックまでは、約3時間半。北海にに近い運河の街で、旧市街は運河に囲まれた島のような状態になっています。中心に13世紀に立て始められたマリーエン教会があり、大型のパイプオルガンの演奏会を聞く機会を得ました。午後にのぞきに行ったときに、掲示を見つけ、係のおばさんによく聞いたのです。夕方また出直して、約一時間半の演奏に聴き入りました。
a0026528_031220.jpg
a0026528_032417.jpg

なんとこの教会ではバッハも演奏をしたそうです。天井まで30メートルはあるかなと思われるゴシックな教会の巨大な空間の隅々まで響き渡るパイプオルガン。管の数は8512本もあるそうです。繊細な高音から身体細胞の全部に響く重低音まで、音の環境体験として人生に何度かは必要でしょう。
a0026528_034353.jpg
a0026528_04273.jpg

バッハのPraeludium und Fuge in Esが素晴らしかった。また、F.Mendelssohn-Bartholdyもよかった。Cesar Franck は19世紀の後半、Max Regerは20世紀初頭に仕事をした作曲家の曲まで、5人の作曲家の6曲演奏会は7euroですから1000円はとても安い割に得難い体験でした。Max Regerも良かったけどやはり、バッハの一見単純なようでいて幾重にも音の重なる空間感と哲学的なミニマリズムには歯が立たないように思えました。
a0026528_041442.jpg
a0026528_042435.jpg

そして、夜といってもまだ十分明るい7時半頃、街の路地を散策していたら、人形劇場と劇人形の博物館を発見!17世紀頃の建物。でも夜なのでもちろん閉館してました。www.figurentheater-luebeck.de
※↓少年大道芸人。この子は単に学校の縦笛の練習をしているだけの腕前。でも結構小銭を稼いでました。
a0026528_043542.jpg

a0026528_082872.jpg

さらに路地を進むと広い通りに出て、交差点角に幼稚園だかレストランだか分からない様子の楽しげな中庭を持つ建物があり、ピザとあったので、ここだと思って入りました。オープンカフェは確かにレストランで、カップルや常連客の他に、赤ちゃんから小さな子供を連れた家族が二組、適当に遊具で子供を遊ばせながらイタリアンのディナーを楽しんでいました。8時頃からイタリア人のPCに仕込んだ音源のカラオケによる生歌演奏がつきました。
a0026528_084030.jpg
a0026528_09258.jpg

ホテルは、Lübeckの一等地にあり、ドイツ中をカバーするリングホテルグループの一つです。やはり17~8世紀の建物で、趣があります。観光地なのでシングル一万円ですが、その価値はあります。客はほとんど国内の家族連れ、おばさまのグループでしめられていました。
a0026528_091799.jpg
a0026528_0131442.jpg
a0026528_0133426.jpg
a0026528_0134645.jpg
a0026528_0135888.jpg

[PR]
by fantacl | 2009-10-31 00:09 | ドイツ滞在
怪しい教授にはVISAをださないぞ!!
2009年4月23日記    前科一犯になっちゃうかも、、!?!
a0026528_132893.jpg

※夕日に映えるレテビ塔、ベルリン大聖堂、ドイツ歴史博物館など(2008年8月撮影)

ベルリンミッテのアパートから歩いていける範囲にも十分ありますが、や地下鉄や市電を使えばさらに沢山の見るべきところへ簡単にアクセスできます。中世前後のベルリン。近代の戦争やホロコーストのベルリン。冷戦下の東西に引き裂かれたベルリン。モダンデザインとアートのベルリン、、、。
a0026528_13282736.jpg

※ウンターデンリンデンの夕日。右はドイツ歴史博物館とフンボルト大学。左はオペラ座、ベーベル広場、旧図書館。(2008年8月撮影)

昨日、日本大使館へ行って、在留届を出してきました。窓口に行くまでが結構物々しいかったです。飛行場のようなX線装置や金属探知機を通ります。最初の受付はドイツ人の女性で日本語駄目、次の窓口も中国系のオジサンで日本語駄目。三番目の窓口でやっと日本人のおばさんが出てきて、受け付けてくれました。
a0026528_13285025.jpg

※ベルリン大聖堂と旧共和国宮殿の解体現場。ここは、戦前に建っていた王宮を復活させる計画。(2008年8月撮影)

そこで、ドイツの外人局へのVISA申請について聞いたところ、申請から実際に発行されるまでにかなり時間がかかるそうで、なんとさらに、特に問題なのが大学の客員研究員や医師の申請だそうです。半年滞在の帰国一日前になってようやく発行されたお医者さんもいたそうです。
a0026528_13292984.jpg

※DDR時代の国会だった旧共和国宮殿の解体現場。アスベストがあった関係で解体に三年がかりとか。ここは、戦前に建っていた王宮を復活させる計画。2013年に完成予定。(2008年8月撮影)

普通に考えると最もVISAを取れやすい身元がしっかりした申請者なのに、なぜか今のベルリン事情では、とても滞留しているそうです。一つの原因は、東欧地区やトルコ、イスラム圏から労働者として流入する人々が膨大であることだそうです。
a0026528_13291061.jpg

※TIREGARTEN脇に立つ日本大使館のいかめしい建物。

でもなぜ、研究職までその影響を受けるのかな??と疑問のままですが、兎に角、申請意志を示し、メールを送ったプリントアウトや、窓口を訪ね待合い番号をもらった紙の票であるとか、アクションした証拠(紙)を獲得するようにとのアドバイスでした。
a0026528_13493448.jpg

※日本大使館のある通りはHiroshimastrasseです。
外人局に行くときは、朝7~8時頃から並んだ方がよいとのことでした。で申請手続きまでたどり着けて尚、発行が間に合わないで帰国してしまったら、努力した証拠の紙を持って日本のドイツ大使館に行って、抗議をして、不法滞在の汚名を返上しないと前科一犯になってしまうのだそうです。
a0026528_1350994.jpg

※ポツダマープラッツPotsdamar Platzにあるベルリンの壁

保険も、日本でかけたAIUでは駄目だそうで、こちらの保険が必要だそうです。受け入れ証明はフンボルトのハルトムート先生から書いてもらっているので大丈夫。女子美からの経済保証を英語で書いてもらう必要があります。なんともまた一仕事です。やれやれ、、、。(でも、後日ミュンヘンでの申請時にはAIUの海外旅行保険で大丈夫でした。)
a0026528_13502179.jpg

※ポツダマープラッツPotsdamar Platzにあるベルリンの壁。DDR時代の制服を着た男が、入国VISAに必要だった複数のスタンプを押してくれる。
[PR]
by fantacl | 2009-10-29 12:52 | ドイツ滞在
iPhoneとiPod touch用ドイツ語辞書環境
4月20日ドイツ語を履修し始めた三女への通信です。
「え~と、iPhone用のアプリの辞書は"German English Dictionary by Cole Zhu"といいます。いくらだったか忘れたけど、1500円くらいだったような。三つ使った中では一番使いやすいよ。i英辞郎と同じで、インクリメントサーチ(打ち込んだアルファベットに合わせて候補が次々と出る)を搭載しているからだよ。
独英、英独、英英辞典機能がついてるよ。ただ、用法などの事例は少ないので、他にCollinsの独英辞典も使っています。こちらは詳しい内容が出るけど、インクリメントサーチではないので、一言一句正確に入力しないとヒットしません。一長一短で~す。iPhoneアプリで独和和独辞典のいいのが供給されるとうれしいけどね。」
a0026528_10434549.jpg
a0026528_10435662.jpg

◎三番目のアプリは、滞独中には知らなかったBitKnights LLC社のとにかく早く引けることを売りに登場した英独独英辞書です。インクリメントサーチ搭載、115円なので、今のところ最もおすすめですね。www.bitknights.com
a0026528_10441281.jpg

[PR]
by fantacl | 2009-10-27 10:51 | ドイツ滞在


カテゴリ
いたずらだ!ターリー
おや自虐ギャグ?
ドイツ滞在
ビミョウなお味じ
ちょっと手料理
ファンです
美術と展覧会
デザインとアート
ICT & WEB2.0
出張と現地の風景
上海の街角
広州の街角
広州出張授業
旅、乗物
季節はめぐる
日記的なもの
ワークショップ
オリジンスタジオから
about Minori Yamazak
タグ
記事ランキング
最新の記事
検索
以前の記事
LINK to my other Site & Blogs
ブログジャンル
その他のジャンル