ミノリン教授のクリティカルな日々。いたずらターリーぬいぐるみ日記もいっしょ。 ★4月~9月までのドイツ研究滞在日記を半年遅れで掲載中です。 
by fantacl
東ドイツで生き残ったほぼ唯一の国営企業とは、
2009年5月3日記  Museum Porzellan-Manufaktur Meißen
マイセンを一日、ドレスデンを次の日にと思って二泊したのに、けっきょくマイセンで大半の時間を使ってしまいました。州立マイセン磁器工場は統一後東ドイツで生き残ったほぼ唯一の企業だったとは驚きです。現在は、ザクセン・アンハルター州立の優良工場です。
工場と美術館は立派なモダンなものでしたし、団体やら個人やら観光客がひっきりなしに来ます。日本からは、お金持ちそうな夫婦や家族が何組か来ていました。ちょっとお話しした人は、お医者さんでした。
↓[マイセン磁器美術館]
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真新しい美術館の前には、対照的に空き家になった立派な建物が寂しくさらされています。ちょっと東に戻った旧市街からアルブレヒト城までも、さらに空き家が目立ち、みんな何処へ行ってしまったのかな? と心配になりますが、この風景は私の生まれ故郷は群馬県の桐生を彷彿とさせるものが、、、。かつての隆盛と栄華を誇った織物産業。その後の衰退と高齢化、不況が一気に重なったような街、桐生、、、。
↓[マイセン磁器工場近くの空き家、空き工場群]
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でも、マイセンにはまだ朽ちない煉瓦や石造りのお城と町並み、それから生きているブランドがある。日本の場合は木造に加え湿気と台風で、人が住まなくなればあっという間に廃屋になってしまうところが、こちらはとにかく乾いている上に台風がないし煉瓦や石なので腐らず残るのですね。
↓[磁器製作の工程や道具を説明するコーナー展示]
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↓[マイセンオリジナルのマークデザインの変遷]
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マイセン焼きは州立工場がほぼ独占で、益子や有田のように町中が陶器の街で、小さな工房や窯が至る所にあるというわけではないというのも知らなかったことです。
↓[ちょっと難ありのアウトレットコーナー、でもブルーオニオンのティーカップ一セットが一万円]
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↓[新作とおぼしき寿司用の皿シリーズ宣伝ポスター]
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マイセン工房見学ツアーはしっかり設計されたものでした。実際の工房内部は見せず、見学用にきちっと5テーマくらいの製作工程が部屋ごとに作られ、そこを順に案内されます。選ばれた職人が作業説明する展示で、あくまでも展示ディスプレイであって工場見学ではない、美術館の一部でした。
写真は自由で、フラッシュもオーケーです。どんどん撮ってくださいといわんばかりでしたが、それは、品質管理に自信があるから出来ることでしょうし、撮ってもらった方が結局は宣伝になるとの判断からでしょう。
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# by fantacl | 2009-11-09 22:33 | ドイツ滞在
マイセンはアルブレヒト城に幽閉された飲んだくれのベドガー
2009年5月2日記 
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土日を利用し、ベルリンを抜け出して、今度は列車で2時間ほど南下したMeißenです。
2日の夕方の列車だったので、マイセンの宿に着いたのは夜の10時前でした。
ドレスデン経由でマイセンまでは3時間半かかりました。宿は一泊5000円の小さなGold-Grundホテルで、山の傾斜地にたっています。部屋は天井が半分傾斜して天窓が付いています。周りは豊かな新緑で、軽井沢のようです。
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今日は、朝8時半から夕方6時半まで、マイセンだけを散策しました。
マイセンは思ったよりも小さな街で、人口2万8000人位ということですから、私の故郷、群馬県の桐生よりず~っと小さく、隣の大間々くらいです。マイセン自体は900年頃から発祥した街だそうですが、1710年ころに、ザクセンの王様であるアウグスト二世強健王に使えた錬金術師のヨハン・フリードリッヒ・ベトガーが、お城で開発したのがヨーロッパ初となるマイセン磁器だったとう話が面白いです。  
 ※アルブレヒト城
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当時は、東洋の磁器、中国の景徳鎮や有田焼伊万里焼は西欧にとってはあこがれの芸術品だったということで、何とか自前で作れないかというのが大課題だったようです。後日、詳しい知人から聞いたところでは、諸国との戦いに使う軍資金を得るためにも磁器の自前開発生産が至上命令だったようです。この地方に産出するカオリン(カオリナイト・珪酸塩鉱物)を使うことで、1300度もの高熱焼成に耐える磁器が初めて出来たという話です。  ※↓飲んだくれ錬金術師のベドガー 
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※↓磁器の開発に成功して、アウグスト二世にお披露目するベトガー。だが彼は秘密保持のため幽閉されてしまう。
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錬金術師ベトガーは、この開発を大いに賞賛されたもの、機密保持のためにお城に幽閉された上に、錬金術などによる毒素の強い物質を扱っていたせいもあって37才で死んでしまうのでした。今日は、このお話の舞台となった、アルブレヒト城内を巡るのに半日かかってしまいましたが、内部の天井ゴチック装飾の見事さに圧倒もされました。
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1000年の歴史あるマイセンの街は、お城を頂点とする適度な勾配がとても古い石畳の路地をさらに魅力的な複雑な物にして見せてくれています。ゴシックやバッロックなどが混じった街並みは、なんとも見ていて飽きないのですが、やはり廉価な日用雑貨が高価なマイセンを圧倒しているようで、マイセン市経済はそれほど芳しいものではない様子で、至る所に廃屋や空き家が目立ちます。
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東西ドイツの統一ショックに加えて、中国産などの廉価品の蔓延、加えて昨今の不況は、トリプルパンチとなってこの小さなおとぎ話のような街を蝕んでいるようです。

明日は、朝一番で州立マイセン磁器工場にいきます。宿から目と鼻の先なのに、今日は街とお城に出かけた関係で、行けなかったのです。印象深いイントロのホームページがあります。
http://www.meissen.de/
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# by fantacl | 2009-11-06 22:19 | ドイツ滞在
ベルリンの壁さらに旧ユダヤ人街散策、
2009年5月1日記 
ベルリンの北はプレンツラウアーベルク地区にあるドイツ語学校から、西に歩いて15分くらいのベルナウアー通りに写真のような壁が残っています。ドイツはもちろんイタリアやスペインからと思われる高校のツアーも来ていて、現代史の現場をしっかり見ていくのだなと思いました。日本人はこの辺まではなかなか来ていません。
※ベルリンの壁追悼施設 http://www.berliner-mauer-gedenkstaette.de/index.html 記念碑と資料センターを兼ねた追悼施設。
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ゴチック調の教会が壁の緩衝地帯に取り残されていたのを爆破して壊された跡に、楕円平面で土でできた壁を持った新しいパビリオン型の教会が建っていて、なかなか興味深い建築空間でした。東西ベルリンの境界線上に建つことになってしまったこの教会は、なんと「和解教会」という名だったのです。
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↓壁が崩壊する4年前の、1985年1月28日に爆破された「和解教会」
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そこから南の中心街方向へ20分くらい戻ると、グローセハンブルガー通りにでて、そこは旧ユダヤ人街です。1938年の11月9日夜に、ナチスによりこの辺のお店のショウウインドーが全て割られ、路に飛び散ったガラスがまるでクリスタルのようにキラキラしていたことから、その晩をクリスタルナハトといい、毎年ユダヤ人迫害記念日となっています。それから終戦まで、あの群像のところにあったユダヤ人学校や老人ホームに集められた人々が、どんどんアウシュビッツなどに送られて行ったそうです。

※虐殺されたユダヤ人達の像。このあたりはかつてのユダヤ人街で、55000人もの住人がナチスによりゲットーに連れ去られたということです。
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人々が希望無く不安の中にたたずむ像のすぐ裏に、ハケッシャーへーフェという中庭が複雑に入り組んだ建物があって、おしゃれなプティックやら、画廊などがたくさん入ってます。アンペルマンショップの一番充実している店もありました。画廊もこの周辺で8件くらい見ました。日本人の個展もありました。またこの辺のメインストリートであるオラニエンブルガー通りは、ベルリン一多国籍になっているようで、インド、ベトナム、タイ、トルコその他その他のレストランや風俗が入り乱れています。今は、寿司もそうですが、むしろタイ料理、ベトナム料理に人気が集まっているようです。 ※グレートハンブルガー通りの元ユダヤ人の家
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※JG1881年からHIER WOHNTEここに住んでいたMAS RAESENERさん(ユダヤ人)は、1941年にDEPORTIERT追放流刑になり、ERMORDET IN殺害されました, tODZで。場所は収容所の一つです。下の人はRIBAとなっています。
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というように、ちょっと歩くと、芸術の歴史、発展の歴史、迫害の歴史、冷戦の歴史に次々と遭遇するのです。ベルリンは何とも複雑な街です。 ※ハッケッシャーへーフェ
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こちらでの滞在は、ホテルが提供しているアパートタイプの宿泊サービスを利用すると安く上がるようです。今借りている部屋もその一つです。行く先々の滞在をアパート型にして連続利用すれば、一人一泊20euro位に押さえられます。
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# by fantacl | 2009-11-06 21:16 | ドイツ滞在
ドイツ語のレベル、TANDEM Berlinのクラス
2009年4月30日記  ドイツ語学校のA2クラスは、8週間節目のおしまいの日でした。
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ぼくは4月上旬からの途中参加で後半三週間しかやっていないので、もう一度A2を取った方が良いのではないかという判断で、B1には進まないつもりです。クラスメイトのほとんどはB1に行くようですが、イタリア、スペインから来た子たちは、結構適当な出席状況で、文法もいい加減な割に、口数はぺらぺらと積極的なので何とかなってしまうようですが、ミノリがB1に行かないといったら驚いていました。それもそのはずで、朝の最初に先生の質問「昨日は何をしましたか?」の時に、一番ちゃんと話を作って報告をするのは中年のぼくなのでした。
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※↓今日はお化粧してないからダメ!とマヌエラ
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クラスの段階は、日本のドイツ語学校の様に細かくはなく、A1,A2,B1,B2,C1,C2の六段階です。A2は最も重要な文法項目が詰まっています。特に不定冠詞定冠詞の格変化、形容詞の格変化、動詞の変化、過去完了、過去形、、、頭の中のダイアグラムをめまぐるしく参照して、ぴたっと応えないと駄目です。語順が日本語に似てフレキシブルな範囲が多いので、話は組み立てやすいです。思いついたところこら話し始めても、文の後半で何とかまとめてしまうということができます。
でも、正直なところ基本的な単語量が英語に比べ圧倒的にたりない問題も歴然としてあるので、深い話はなかなか出来ないのが歯がゆいです。
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ベルリンの学校はあと5週間やり、合わせて8週A2完了ということで、ミュンヘンへ移動になります。ミュンヘンではB1を希望しています。11週受けるつもりなので、B2の中間までは行きたいです。でもその後、日本に帰ってからどうするのでしょうか???
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さて、明日はメーデーで祝日です。ドレスデンとか一時間半でいけるので、完全に東ドイツ側だった街をしっかり見てこようかと思っています。
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# by fantacl | 2009-11-06 00:16 | ドイツ滞在
リューベックで不思議な出会い
2009年4月26日記  そういえば、リューベック二日目の日曜日に、面白い人に会いました。 
※写真はリューベックの街角。
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人形劇人形博物館に着いて、見るより先に空腹を何とかしたいので、カフェでなにかケーキでも食べられませんかね〜と受付の人に言っていたときです。  ※写真は人形劇場外観。
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横から、「今日は! お一人で旅行ですか? ドイツはいかがですか?」と体格の良い50前後と思われる立派なひげをたくわえたオジサンが日本語で話しかけてきました。とても上手な日本語で、自分は日本に4年間いましたと話し始めました。   ※写真は人形劇人形博物館に展示されている様々な人形たち。
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彼は英国はウエールズの出身で日本文学と文化を専攻したそうです。今はハンブルクで仕事をしているけれども、85年から89年まで、最初の一年は北大で日本の研究、次の4年間は西武百貨店勤務だったそうで、「今までの人生の中で一番素晴らしいときでした」としみじみというのです。話が盛り上がりそうになったのですが、見たかった隣の人形劇場の公演が迫ってきていたので、名刺の交換をして分かれました。
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リューベックのプッペンテアター(人形劇場)は、Figurentheaterといって、建物の外側は16世紀のもので、内側は最近内装したらしく、すっかりモダンでした。50人ほどの小劇場に観客は大人が7人と、子どもは兄弟の一組二人だけでした。どうやら、ドイツ人は天気良い日は、外でバーベキューか日向ボコをしているので、薄暗い美術館や劇場などには好んで行かないということらしいです。
http://www.figurentheater-luebeck.de/
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"Die Gänsehirtin am Brunnen"という演目なので「泉のそばのガチョウ飼い娘」とでもいうのかな。一時間の公演は、男の子とリューベックらしく岩塩の話だっと思うので、どうも題名と内容が一致しません。影絵が基本の女性演者一人の舞台です。一人で語りから15cmくらいの人形を操ることまでをこなします。照明や音響、小道具などのサポートに若い男性がついていましたが、演じる基本は一人です。
http://www.1000-maerchen.de/fairyTale/920-die-gaensehirtin-am-brunnen.htm
伝統ある人形劇場、小さな舞台に心温まるゆったりとした演じ方、素晴らしくよく通る声に豊かな時間が過ぎました。
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さて、観劇後、人形博物館の方もじっくり見て、リューベック名物の門の中の博物館もしっかり見て、夕方になったのでベルリンへ帰るため駅に向かいました。そしたら、ホームでまたあの髭のオジサンに再会しました。
ぼくの仕事のパンフも渡して、ハンブルクまで約1時間、ずっと日本語で話しました。「あの時代の西武は絶頂期でした。堤社長に挨拶をするときは90度に体を折り曲げてお辞儀をしましたとか、挨拶は日本の美点です、ウエールズ人も同じです、ハンブルク人は本当に挨拶がひどいです」などなど、、、。
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フォトショップやイラストレーターで有名なアドビで、日本語と中国語でプログラムがちゃんと動くかどうかのテクニカルな仕事をしているそうです。次回ハンブルクへよることがあれば、是非自分のところへ泊まってくれとなかなか親切な紳士です。彼の名前はGolesworthyゴールズワジーさんで、ときどきウイルヘルム一世そっくりさん役として、仕事もしているそうです。
www.abeleri.com www.ungthumah.com www.majestaet.com
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次の日ベルリンで、郵便局に行った帰りに近所の歴史地区ニコライフィアテルをぶらぶらしていたら、日本人とおぼしき青年が一眼レフデジカメでしきりにあっちこっちを撮っているので、声をかけました。どこぞの大学院でナノの物理をやって日立勤務二年目だそうです。連休に有給をくっつけて10日間のオランダ、ドイツ、チェコ旅行だそうです。なんと、光で物性を調べる研究をしていたようで、作品パンフレットを見せたとても感激してくれました。
、、、というような感じで、犬も歩けば何とやらの日々です。
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# by fantacl | 2009-11-05 07:48 | ドイツ滞在


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