ミノリン教授のクリティカルな日々。いたずらターリーぬいぐるみ日記もいっしょ。 ★4月~9月までのドイツ研究滞在日記を半年遅れで掲載中です。 
by fantacl
カテゴリ:ドイツ滞在( 27 )
2009年5月4日記 学びと発見の合宿 Entdekkendes Lernen
[ドイツサバティカル滞在記2009年6月4日]
 (※帰国して半年以上経ってしまった!!)  
明日は、ベルリンは人気のプレンツラウアーベルグ地区にある語学学校通いも最終日です。授業の後半は受講期間が終了間際の生徒が簡単な研究発表をすることになっています。それでミノリはこの際、サバティカルの目的でもある立方体万華鏡ワークショップについての報告をすることにしました。
造形活動の発端になった立方体万華鏡の歴史と、最近のワークショップまでの拡がりがちゃんと説明できるかが問題です。

↓こんな話をするよ、とメキシコ人のカルロスとスロバキア人のマヌエラに説明。
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↓立方体万華鏡CUMOSの始まりは、、、とたどたどしいドイツ語で報告。
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↓素晴らしかった中級B1のクラスメート達。ああ、なつかしい、、。
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ベルリンの語学学校タンデムは、何しろ授業料が安かったのです。姉妹校のミュンヘンタンデムより2〜3割安でした。そのわけは、この地区が旧東ドイツ側で、ミュンヘンより生活コストが安く結果として人件費が安いいことから来ているらしいのです。
でも、実は運営面や内容での差もあるということは、この後、ミュンヘンタンデムへ通い始めてから解ることですが、、、。

ドイツ語学校修了後、急いでフンボルト大学に戻り、ハルトムート先生と一緒に二泊三日の合宿ゼミに参加します。ベルリンの北50キロくらいの所にある湖畔の宿で20人ほどの先生方が、NHK教育テレビで放送しているピタゴラスイッチのような仕掛けを研究するのです。
Entdekkendes Lernen Werkstattといいます。次回はその報告です。
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by fantacl | 2010-03-15 01:04 | ドイツ滞在
パンク姉さんの床屋さんでドバーッと絶壁
2009年6月2日   ミノリン@ベルリンです。
"CUT+GO12EURO"
↓床屋さん近所のハッケッシャーへーフェ内の様子
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今日、残っていたアパート代一月分690ユーロを無事にVISAカードで決算できました。無事にって、この一ヶ月、アパートを借りているホテルの機械にカードが通らなかったので困っていたのでした。でも、1日のまさかのGMの破綻から急に円安になり、先々週に1ユーロ127円だった為替がするする~っと137円になった! 
なんと127円と137円の10円違いで、6900円も違ってしまうのです!!
ガ~~ン!!!ホテルのカード決済機がおかしくなければ支払わなくとも済んだ金額だと思うと少し頭に来ます。

頭に来たついでに今日は日本出発以来二ヶ月ぶりに床屋さんに行ってきました。
場所は、ベルリンの池袋、ハッケッシャーマルクトの裏手で、今までの写真でいうと、ナチに連行されるユダヤ人の群像がある旧ユダヤ人街の近くです。今日、そのあたりを再び訪ねたのは、安い床屋が多いと言うことと、元ユダヤ人の家の前の歩道に「ここは○○年までユダヤ人の誰々さんの家でした」と書いた金属プレートが設置されているのを探し歩いたのです。

そのプレートも10個くらい発見して写真を撮りました。そしたらそこから15メートルも行かない同じグローセハンブルガー通にCUT+GO12EUROとデカく書いてあるカットハウスを発見しました。地下にアートギャラリーも併設されていてなかなかカッコよかったし、すいていたのでエイヤッと入りました。
 ↓CUT+GO 12EUROの床屋
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最初になにを飲みますか?と聞かれて驚きました。コーラ?カフェ~?オーダーテー?ってきかれてハーブテー(ドイツではティーではなくテー)を頼みました。ちょっと花粉気味でイガイガしていたので、ほんと助かりました。80%金髪20%黒髪の入った(日本と逆)少しだけ中島美嘉似の派手なTシャツに黒く細いパンツルックで、パンクが入ったやせたお姉さんが担当してくれて、最初に洗髪です。洗髪は日本の美容院のように仰向けです。でも洗髪する手は、簡単なビニールの手袋をしてました。

そのあと、カットなのですが、うなじとか側頭部は2ミリのバリカンで、上の方は3センチのこして、日本ではソフトモヒカンていう髪型でお願いしま~すって、七八割は通じたであろう注文をしました。
オッケ~!みたいなのりで、"So Kurz!!"ゾ~クルツ! すご~いみじか~い!とかいいながら、どんどんバリカンが入りました。隣におばさんのお客が入って、現在ミノリンと二人並んで、横長の大きな鏡に映っています。おばさんに少し気を取られたりしている内にも容赦なくどんどんバリカンが入ります。
 ↓店内
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そして、一段落して、パンクのお姉さんが、手鏡を持ち出して、後ろ側とかどぉ~~?みたいに聞いてきたので、メガネがないと見えませ~んとかいいながらメガネを掛けると、そこには頭の上の面にふさふさとした草原が見えて、その周りが急に肌の見えるドーバー海峡のようなドバーっと断崖絶壁状態というか、とにかく頭頂部の水平面のみ3センチで、あとは一気に2ミリの絶壁なのでした!!

あれ~!?!よわったな~、こことここの差が強すぎるので、もっとソフトにグラデーションにできませんかぁ~、のようなことを必死にいって、少し直しが入りました。ドォ~~ぉ?って、まだ全然なだらかな繋がりになっていません。もう一回、もっと自然にビテ~!(お願い!)とだめ出しをしたのですが、いかんせん最初の段差がゲルマン的に絶対なのでもうダメです。
しょうがないのであきらめて、ソ~ソ~、ん~~グ~ト?!?(まあいいんじゃな~い)なんて曖昧な妥協をして、まっ所要時間25分で洗髪にお茶付き、中島美嘉似で12オイロ(1600円)ならしょうがないや~~とその場をあとにしました。

これで帽子着用率を上げれば、また二ヶ月はだいようぶでしょう、、、トホホ、、、。

 ↓旧ユダヤ人街グレートハンブルガー通り近辺
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↓元ユダヤ人家族が住んでいたことを物語るプレート
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↓ドバーッと絶壁の頭。TANDEM Berlinのクラスで、カルロスとバルバラ先生
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by fantacl | 2009-11-21 23:39 | ドイツ滞在
ドイツ連邦共和国建国60周年記念イベント
2009年5月24日記  ミノリン@ベルリン
5月24日は、なんとドイツ建国60周年祭で、ブランデンブルグ門周辺で大イベントが開催されました。ぼんやりしていて忘れていたところに夕方ドイツ在住の友人からメールが入っていて気がつきました。バレンボイムが仮設テントステージで第九を振るというのです。
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↓第二次大戦直後のブランデンブルグ門
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結局駆けつけたのは夜の8時、すでにバレンボイムは去った後で、ロックコンサートになっていました。とにかく前に進めない。係の人がすり抜けるあとを伝って何とか門の奥に進みました。
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人がごった返していて、ブランデンブルグ門からティアーガルテン方向に抜けるのに苦労しました。門から抜けて振り返ると門の両脇には仮設ステージが出来ていて、左右対の形でコンサートの会場になっていました。ところで「ごったがえしって」変な響きです。"Gotta Gaeschiterun"と書くとほとんどドイツ語ですね、、。
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ティアーガルテン地区は道の両サイドは、なるほど建国60周年なので、ほとんど行政関係の出展ブースでした。それでドイツ軍もちゃっかり装甲車や兵員輸送車を出してプロモーションしていました。
今年は、ベルリンの壁崩壊20周年でもあり、それらの関連イベントは11月9日のその日の前後に集中して開催されることになります。
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明日は、隣町のポツダムにある1745年に出来たサンスーシー宮殿に行ってきます。世界遺産です。サンスーシーって、フランス語だそうです。ドイツ語だとKeine Sorgeとなり「心配はいらない=憂い無き」という意味です。単純な響きはアウンサンスーチーさんみたいな、、、。
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by fantacl | 2009-11-19 23:23 | ドイツ滞在
トポグラフィーオブテラーはゲシュタポ本部跡地
2009年5月24日記  ミノリン@ベルリン  "Topography of Teller"
"Stiftung Topographie des Terrors"
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●午後はトポグラフィーオブテラーというゲシュタポの本部跡地の展示を見に行ってました。ゲシュタポやSSがどのような悪事を働いたかと言うことを忘れないようにという展示です。元ゲシュタポ跡地にはなんと1961年にベルリンの壁が建ち、世界大戦と冷戦という二十世紀の歴史が二重に重なったところです。
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↓爆撃されたベルリンのポツダマープラッツ周辺。中心あたりがゲシュタポの建物。
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記念館をどのようなものにするかで紛糾して、2004年に一端ズントーという有名スイス人建築家のプランで建築が始まったのに、立派な建物はいらない、その名の通り「この場そのものが物語っているではないか」と反対運動があり、再コンペとなったところです。それで、せっかく建築途中でかなり出来ていたズントーの建物をわざわざ壊して、ずんと〜シンプルな新しい記念館を今建設しているところです(オヤジギャグを言っている場合ではない)。現在の展示は敷地内の露天に写真掲示されています。
↓ ズントー設計の記念館を壊しているところや、計画再検討のいきさつ掲示
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↓ベルリンの壁の手前の遺構がゲシュタポ本部地下の政治犯収容独房。
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↓レンタルトラバントやさん
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by fantacl | 2009-11-18 23:32 | ドイツ滞在
ハンス・アイスラー音楽大学の公開演奏マナティーさん
2009年5月23日記  Hanns Eisler Music Hochschule
昨日はベルリン大聖堂とアパートの中間にあるここから5分のHanns Eislerという音楽大学に行って、公開指導を見てきたというか聴いてきました。ハンスアイスラー音楽大学は旧東ドイツの中心的音大で、公開演奏は100人ほど入るホールでありました。現在ベルリンには西側にあるベルリン芸術大学と旧東側のここという具合に二つの音大が存在しています。今回の公開演奏は大学院生の演奏を特任教授が指導する様子を6ユーロで公開するのです。ちゃっかりしてます。イタリア系の若いFabio Bidini教授は英語で、指導を受ける学生は多国籍です。

 ↓[ハンスアイスラー音楽大学の角からベルリン大聖堂をみる。]
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演奏は二人のピアノと一組の室内楽で、ショパンとブラームスのピアノソナタ、それからモーツアルトの室内楽三重奏でした。夕方6時から始まって9時まで公開指導に立ち会いました。もう一組あったので全部聞けば夜10時です。先生は一人1時間の合計4時間みっちり集中した指導で、3人でも汗だくでした。

最初のドイツ人とおぼしき金髪のキツネ似さんは、演奏が荒く基本的な姿勢を何度も直され、雑音が多くてまだ音楽になっていないとか、もっとここはファンタスティックに抑揚をつけてと手厳しくみっちり何度も直されながら50分指導が入りました。こんなのに立ち会って6ユーロは参ったなと思いました。

次の中国人とおぼしき、例えは悪いですがマナティー似さんは、ほんの5分ほどの演奏があり、あれ、うまいのになと思っていたら、すぐに先生がスピードのこや気持ちの乗せ方とか指導が入り、それからは10分ほどの独奏になりました。それは、なんというか音がこちらの心にす~っと浸透してくるというか、まさに音楽に浸るような感覚で、自然と目をつむって体に満ちる曲を楽しめました。

 ↓[イザール運河の向こう側すぐがハンスアイスラー音楽大学、右には共和国宮殿という名の旧東ドイツ国会があった]
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ブラームスのピアノソナタにこんなにロマンチックな曲があったのかと驚くほどでした。演奏が終わると本当に素直に強く拍手をしている自分に驚くほどでした。ホール全体もすばらしさにしばらく拍手が続きました。先生もウットリした顔で褒めていました。それからは、本当に丁寧な指導がまた30分以上続いたけれども、一つ一つ納得のいくもので、授業につきあわされていると言うよりも舞台を見ているような集中できる時間が続いたのでした。ああ、これは6ユーロではすごく得したと思いました。

時折はにかみをみせるマナティーさんは、強い指導の時にベロッと舌を出す癖があって、これを是非直して欲しいものだなあと、つまらないことを考えました。三番目は室内楽のピアノ、バイオリン、チェロのグループでしたが、比較的普通だったので省略します。

演奏家は普通の演奏が出来るようになるまでの時間が半端ではないです。毎日何時間もそればかりやってやっと普通の音が奏でられるようになる。でもその上に音楽性となると、これはハッキリ才能の世界でとても残酷です。キツネさんはおそらくこれ以上は難しいでしょう。マナティーさんは才能豊かで伝わる曲を奏でられます。ちゃんと音楽になっています。でもデビューできるかどうかはまだだれも分かりません。

、、、などとおもいつつ、では美術の状況ではどうなんだ、そもそもそれでは自分はどうなんだと、堂々巡りが始まるのでした。

 ↓[社会主義経済の父マルクスとエンゲルスの像も今後どうなるのかな? 向こうはベルリン大聖堂]
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by fantacl | 2009-11-18 22:51 | ドイツ滞在
ベルリンの面白さとは。カモ一家の悲劇、、。
2009年5月19日記  
ベルリンの面白さを色々書いてきましたが、興味深い歴史の蓄積はベルリンに限ったことではありません。
何処に行ってもそれなりの人の暮らしの痕跡が転がっているものです。
たとえば、去年の10月にゼミ生を連れて、一泊二日で西日暮里から谷中、上野、本郷を歩きました。岡倉天心の日本美術院発祥の地、狩野芳涯の墓、徳川慶喜の墓、夢二と恋人が歩いた池之端などなど、それはそれは、様々な断面を発見して、下町歩きの面白さを実体験できました。

↓[外務省前にあるクマの親子の彫刻]
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ベルリンが他の都市と違うとすると下記の要因と思われます。

1.プロイセンの首都でヨーロッパの芸術・学問の中心として栄えた。
2.第一次第二次大戦の大本営であった。
3.ホロコーストの総本山だった。
4.その結果、大戦で徹底的に破壊された。
5.傷も癒えぬまま20年前まで東西冷戦の市街最前線だった。
6.上記の資産と負の遺産の間で、ドイツの首都にとどまらずEUの中心として
  再生を図ろうとしている。結果、色々な物や人が流入し、交差共存している。
7.ドイツ人の律儀さで、過去の資料が徹底的に保存され整理されているので、
  破壊を免れたいろいろな資料が出てくる。
8.いまだに破壊以前の元の姿をあちこちで再建しようとしている。

↓[泊まっていたアパートと外務省の間にある運河に来た白鳥]
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↓[泊まっていたアパートと外務省の間にある運河にいたオシドリ夫婦]
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これらがない交ぜになって不思議と人を引きつけるのだとおもうのです。
東京も、天災人災の荒波にもまれたという意味では、他に比べられないほどの経歴なのは勿論です。江戸の大火、関東大震災、東京大空襲と何度も灰燼に帰していますが、その痕跡や傷跡はほとんど塗り替えられて、むしろ探すのに苦労するのではないでしょうか。

↓[泊まっていたアパートからみえる外務省屋上にある風見のオブジェ人間]
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↓[泊まっていたアパートからみえる外務省の長い建物とベルリン一古いユングフェルン橋]
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↓[泊まっていたアパート前運河で起きたカモ一家の悲劇。六匹の小ガモが滝の下に落ちた!]
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↓[カモ一家の悲劇。親が滝の下に行くが小ガモは上に戻れない。上には家があり二羽の兄弟がいる。結局親ガモは下流に落ちた6羽を見捨てることになった、、、]
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たった1メートルの堰の落差が8ッ匹のカモ兄弟を悲劇に落とし込んだのでした。動物保護や環境保護にうるさいドイツの中心で、小ガモたちは家に戻ることが出来なくなりました。次の日は、下の運河に二羽ほどピーピーと鳴き声が聞こえましたが、三日目には一匹も見あたらなくなってしまいました。その後、上に残った二羽も結局滝から落ちてしまって、全滅と言うことになっていまいました。カモ一家の巣が滝からそう遠くないところだったことが問題ですが、この悲劇はもしかすると毎年のように繰り返されているのカモしれません、、、。
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by fantacl | 2009-11-17 23:16 | ドイツ滞在
ゼーネフェルダー、ローザルクセンブルグ、ケーテコルビッツ、、
2009年5月16日記  最近のベルリン探索成果です。

通っているドイツ語学校は、ベルリンの北側、プレンツラウアーベルクという、かつては東ドイツ国家公安人が多く住んでいて恐れられていた地域にあります。東西統一後の今は、街並みの美しさ、家賃の安さ、緑の多さで、学生や芸術家を中心にベルリン一の人気スポットだそうで、安くて素敵なそれも多国籍なレストランが多いです。ベルリン全体もそうですが、確かに家賃も食費も東京の6割くらいの感じです。
↓[プレンツラウアーベルクはゼーネフェルダー駅よこで、タウンウオッチングをする人々。]
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昨日は午前中にあるドイツ語学校の授業あと、とぼとぼと南西方向の横道にそれて1時間半くらい歩きました。途中の市民公園でハインリッヒ・ハイネの銅像を見つけてカメラ小僧に変身。ハイネはあちこち住居を替えていますし最後はパリで死去したそうですが、ベルリン滞在歴もあるようで、きっとこのあたりに住んでいたのでしょう。

先週も、南側別ルートを探索していたら奇妙な題名の刻み方がしてある像を発見。手前に天使のような子どもが二人彫刻されていて、一人は台座に逆文字(鏡文字)で、像の主人公の名前らしきものを描いている姿です。もう一人は鏡を持ってそれを映して読んでいるのです。ここはそのまま地下鉄U2の駅名になっていてゼーネフェルダー駅があります。いたい全体ゼーネフェルダーって誰?と思い、帰ってからwikipediaで調べたところ、石版画(リトグラフ)技法の発明者だということがわかりました。彼はミュンヘンの方で活躍したそうですが、おそらくこのあたりにも住んでいたことがあるのでしょう。
↓[石版画の発明者ゼーネフェルダーの像。地下鉄U2の駅名にもなっている。]
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隣の駅は、1919年代にドイツで起こった共産革命事件の首謀者で女性活動家のローザ・ルクセンブルクの駅です。リープクネヒトという同志と一緒に武装蜂起を仕掛けたのですが、400人の仲間と一緒に国防軍に鎮圧されて、銃床で殴り殺されて川に投げ捨てられ、半年放置されてしまったという経歴だそうです。共産東ドイツ時代は、悲劇のヒロインとしてなかば神聖化されていたようです。何とも凄惨だけど、この革命が成功していたらナチスのホロコーストも、もちろん大戦そのものも無かっただろうと思ったり、、、でも共産化したドイツは一体全体???とか色々興味深いのでした。今は、彼女のことばが刻まれた銅版が直径100メートル位にわたってあちこちに埋め込まれているのみです。 
↓[WikiペディアよりRosa Luxemburg マルクス主義の革命家]
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西に歩けば、ベルリンの壁の跡地で、ここに逃亡トンネルがあった、ここの建物から飛び降り逃げおおせた。この教会は壁の緩衝地帯に取り残されて、1984年に東ドイツ政府によって爆破、破壊されてしまったので現在この仮の姿の教会になっている、、、とかとか、まさに現代史の中をさまよわされる感じです。壁そのものと壁から東側にあった約20メートルほどの緩衝地帯も保存されている場所にも出くわしました。ヨーロッパのあちこちから現代史を勉強中の高校生や大学生を乗せている団体バスがやってきていました。
↓ベルナウアー通りのベルリンの壁跡。地面に二列の煉瓦が埋め込まれているところが壁跡。
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↓ベルナウアー通で起こった壁にまつわる有名な事件跡を示す碑。
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二日前は、ドイツ語学校B1クラスの経歴がまちまちのフランス人三人と大手旅行会社を退社して来独中のサチコと5人でランチを食べに学校から南下して、女流彫刻家として有名なケーテ・コルビッツ公園近くのイタリアンに行きました。そこにはコルビッツの一見いかめしい感じの像があるのです。

ケーテ・コルビッツは第一次大戦で末の息子を亡くし、第二次大戦で長男の息子すなわち孫を亡くしています。一貫して貧しい民衆を描いたり彫刻に作っていて、戦前にかなり認められた作家でしたが、ナチスに退廃芸術家指定を受け戦争中は表だって活動できなかったそうです。ウンターデンリンデンのフンボルト大学とドイツ歴史博物館の間にあるベルリンの「ノイエ・ヴァッヘ」(国立中央戦争犠牲者追悼所)内部中央にはコルビッツ作の死んだ子供を抱きかかえる母親の像「ピエタ」がぽつんと一つだけ設置され、暗黙のうちに強い反戦をうったえています。残念なことに彼女は戦争終結直前になくなったそうです。これもウイッキペディアの記事からですが、、。

他にも、最近は、ドイツ技術博物館で"mathema" マセマという数学と自然の関係性を特集した企画展示を見ました。企画展"Die Mathematik die Sprache der Natur ?"「数学は自然が持つ言葉か?」あるいは、「自然は数学で描写できるのか?」と訳せるかな?!?
↓[ドイツ技術博物館屋上にはベルリン封鎖の時に生活物資を届けるのに活躍した米軍のC-47型輸送機。Museum für Entdeckerの表示はMuseum for Discovererの意味です。
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ドイツ技術博物館は滞在三時間では半分も見ることが出来ませんでした。
↓ Die ersten Computer der Weltと世界初のコンピューター発明者として、Konrad Zuseを紹介している特設コーナーがありました。みなさん、コンラート・ツーゼって知っていましたか? 僕はここを見るまで知りませんでした。 
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今週末は家にいてドイツ語の宿題と、水曜日の夕方フンボルト大学のハルトムートゼミで予定されている立方体万華鏡ワークショップの準備をして過ごします。
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by fantacl | 2009-11-13 00:41 | ドイツ滞在
やっぱりB1クラスにしよ〜っと
2009年5月4日記 
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今日は学校の新コース初日でした。行ったらクラスが確定していなくてA2かB1どっちにする?? と、その場で決めたのでした。で、いぇいやっとB1のクラスに入りました。

自己紹介やら、何をしにドイツに来たのかとか、今までどうやってドイツ語勉強をしていたのか?とかお互いにお話ししたり、クラスで発表したりするのです。A2のクラスメイトが二人だけで、他の6人は新人です。
フランス人が3人、オランダ人が一人、どこだか聞きそびれた西欧の子が一人、日本人の30代の女性が一人です。口火はミノリン教授が切って、結構ぺらぺらと適当なことが口をついて出てきてまあまあのできでした。間違いだらけのドイツ語でも、しゃべるが勝ちなのです。

二人組になるときは、隣のフランス人のデイビッドと、ああだこうだと話します。彼は31才の独身で、生活用品のパッケージ技術者だそうですが、ただいま失業中で、新しいチャンスをものにするにはやはりドイツ語ができないと不利だということで勉強に来たのでした。そういう現在失業中の人は結構多く、他のフランス人もほとんど動機は同じです。あと、レオナルド奨学金というのをゲットして来独している生徒も多いです。
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メキシコから来た21のカルロスは学生ですが、ドイツで自然エネルギーの会社を作るのだといっているし、スロバキアのマヌエラも次のステップをドイツでつかみたいと、みんな生活に直結する能力として、ドイツ語修行をやっています。あ、それから基本的に、みなほぼ英語が出来ます。おまけにイタリア語だのスペイン語だのオランダ語もOkよ~~みたいな生徒ばかりです。

スロバキアのマヌエラは7~8月のハイシーズンは授業料が高くなるし、生徒も多いので、その期間はドイツでのアルバイトに専念して、秋になったらまた復学すると言っています。西欧系の生徒達は、3ヶ月滞在でそこそこ普通の会話は出来、6ヶ月以上、一年くらいいるとすでにネイティブレベルで不自由なく暮らせるところまでいってしまうようです。
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英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語その他、ヨーロッパ語族は表記がアルファベットなので、イスラム圏やアジア圏の全く違う文字を覚える必要がありません。その分、強い方言を覚えるような所があるので、半年程度でも身につけることが出来るとも言えます。
でも片方で、アジアからの留学生やイスラム圏その他異文字異文化を持つ国々からの生徒も日本人よりうまく話す場合が多いので、一概にはいえません。
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日本人のように、受験英語を何年やってもほとんどしゃべれないという状況は、世界的に見れば、実に不経済で時間も浪費のばかばかしいやり方の、まか不思議な現象と捉えられても仕方のない現象です。戦後一貫して語学教育の戦略と進化のなさは、国際競争力を考えると本当にマイナスです。
外国人にドイツ語を教えるメソッドは、相当鍛えられ工夫され合理的になっていると思います。解説本もたくあんあります。それに比べ、日本語を外国人に教える教本の種類はとても少ない現状です。
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by fantacl | 2009-11-11 08:39 | ドイツ滞在
東ドイツで生き残ったほぼ唯一の国営企業とは、
2009年5月3日記  Museum Porzellan-Manufaktur Meißen
マイセンを一日、ドレスデンを次の日にと思って二泊したのに、けっきょくマイセンで大半の時間を使ってしまいました。州立マイセン磁器工場は統一後東ドイツで生き残ったほぼ唯一の企業だったとは驚きです。現在は、ザクセン・アンハルター州立の優良工場です。
工場と美術館は立派なモダンなものでしたし、団体やら個人やら観光客がひっきりなしに来ます。日本からは、お金持ちそうな夫婦や家族が何組か来ていました。ちょっとお話しした人は、お医者さんでした。
↓[マイセン磁器美術館]
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真新しい美術館の前には、対照的に空き家になった立派な建物が寂しくさらされています。ちょっと東に戻った旧市街からアルブレヒト城までも、さらに空き家が目立ち、みんな何処へ行ってしまったのかな? と心配になりますが、この風景は私の生まれ故郷は群馬県の桐生を彷彿とさせるものが、、、。かつての隆盛と栄華を誇った織物産業。その後の衰退と高齢化、不況が一気に重なったような街、桐生、、、。
↓[マイセン磁器工場近くの空き家、空き工場群]
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でも、マイセンにはまだ朽ちない煉瓦や石造りのお城と町並み、それから生きているブランドがある。日本の場合は木造に加え湿気と台風で、人が住まなくなればあっという間に廃屋になってしまうところが、こちらはとにかく乾いている上に台風がないし煉瓦や石なので腐らず残るのですね。
↓[磁器製作の工程や道具を説明するコーナー展示]
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↓[マイセンオリジナルのマークデザインの変遷]
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マイセン焼きは州立工場がほぼ独占で、益子や有田のように町中が陶器の街で、小さな工房や窯が至る所にあるというわけではないというのも知らなかったことです。
↓[ちょっと難ありのアウトレットコーナー、でもブルーオニオンのティーカップ一セットが一万円]
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↓[新作とおぼしき寿司用の皿シリーズ宣伝ポスター]
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マイセン工房見学ツアーはしっかり設計されたものでした。実際の工房内部は見せず、見学用にきちっと5テーマくらいの製作工程が部屋ごとに作られ、そこを順に案内されます。選ばれた職人が作業説明する展示で、あくまでも展示ディスプレイであって工場見学ではない、美術館の一部でした。
写真は自由で、フラッシュもオーケーです。どんどん撮ってくださいといわんばかりでしたが、それは、品質管理に自信があるから出来ることでしょうし、撮ってもらった方が結局は宣伝になるとの判断からでしょう。
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by fantacl | 2009-11-09 22:33 | ドイツ滞在
マイセンはアルブレヒト城に幽閉された飲んだくれのベドガー
2009年5月2日記 
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土日を利用し、ベルリンを抜け出して、今度は列車で2時間ほど南下したMeißenです。
2日の夕方の列車だったので、マイセンの宿に着いたのは夜の10時前でした。
ドレスデン経由でマイセンまでは3時間半かかりました。宿は一泊5000円の小さなGold-Grundホテルで、山の傾斜地にたっています。部屋は天井が半分傾斜して天窓が付いています。周りは豊かな新緑で、軽井沢のようです。
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今日は、朝8時半から夕方6時半まで、マイセンだけを散策しました。
マイセンは思ったよりも小さな街で、人口2万8000人位ということですから、私の故郷、群馬県の桐生よりず~っと小さく、隣の大間々くらいです。マイセン自体は900年頃から発祥した街だそうですが、1710年ころに、ザクセンの王様であるアウグスト二世強健王に使えた錬金術師のヨハン・フリードリッヒ・ベトガーが、お城で開発したのがヨーロッパ初となるマイセン磁器だったとう話が面白いです。  
 ※アルブレヒト城
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当時は、東洋の磁器、中国の景徳鎮や有田焼伊万里焼は西欧にとってはあこがれの芸術品だったということで、何とか自前で作れないかというのが大課題だったようです。後日、詳しい知人から聞いたところでは、諸国との戦いに使う軍資金を得るためにも磁器の自前開発生産が至上命令だったようです。この地方に産出するカオリン(カオリナイト・珪酸塩鉱物)を使うことで、1300度もの高熱焼成に耐える磁器が初めて出来たという話です。  ※↓飲んだくれ錬金術師のベドガー 
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※↓磁器の開発に成功して、アウグスト二世にお披露目するベトガー。だが彼は秘密保持のため幽閉されてしまう。
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錬金術師ベトガーは、この開発を大いに賞賛されたもの、機密保持のためにお城に幽閉された上に、錬金術などによる毒素の強い物質を扱っていたせいもあって37才で死んでしまうのでした。今日は、このお話の舞台となった、アルブレヒト城内を巡るのに半日かかってしまいましたが、内部の天井ゴチック装飾の見事さに圧倒もされました。
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1000年の歴史あるマイセンの街は、お城を頂点とする適度な勾配がとても古い石畳の路地をさらに魅力的な複雑な物にして見せてくれています。ゴシックやバッロックなどが混じった街並みは、なんとも見ていて飽きないのですが、やはり廉価な日用雑貨が高価なマイセンを圧倒しているようで、マイセン市経済はそれほど芳しいものではない様子で、至る所に廃屋や空き家が目立ちます。
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東西ドイツの統一ショックに加えて、中国産などの廉価品の蔓延、加えて昨今の不況は、トリプルパンチとなってこの小さなおとぎ話のような街を蝕んでいるようです。

明日は、朝一番で州立マイセン磁器工場にいきます。宿から目と鼻の先なのに、今日は街とお城に出かけた関係で、行けなかったのです。印象深いイントロのホームページがあります。
http://www.meissen.de/
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by fantacl | 2009-11-06 22:19 | ドイツ滞在


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