ミノリン教授のクリティカルな日々。いたずらターリーぬいぐるみ日記もいっしょ。 ★4月~9月までのドイツ研究滞在日記を半年遅れで掲載中です。 
by fantacl
ベルリンの壁さらに旧ユダヤ人街散策、
2009年5月1日記 
ベルリンの北はプレンツラウアーベルク地区にあるドイツ語学校から、西に歩いて15分くらいのベルナウアー通りに写真のような壁が残っています。ドイツはもちろんイタリアやスペインからと思われる高校のツアーも来ていて、現代史の現場をしっかり見ていくのだなと思いました。日本人はこの辺まではなかなか来ていません。
※ベルリンの壁追悼施設 http://www.berliner-mauer-gedenkstaette.de/index.html 記念碑と資料センターを兼ねた追悼施設。
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ゴチック調の教会が壁の緩衝地帯に取り残されていたのを爆破して壊された跡に、楕円平面で土でできた壁を持った新しいパビリオン型の教会が建っていて、なかなか興味深い建築空間でした。東西ベルリンの境界線上に建つことになってしまったこの教会は、なんと「和解教会」という名だったのです。
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↓壁が崩壊する4年前の、1985年1月28日に爆破された「和解教会」
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そこから南の中心街方向へ20分くらい戻ると、グローセハンブルガー通りにでて、そこは旧ユダヤ人街です。1938年の11月9日夜に、ナチスによりこの辺のお店のショウウインドーが全て割られ、路に飛び散ったガラスがまるでクリスタルのようにキラキラしていたことから、その晩をクリスタルナハトといい、毎年ユダヤ人迫害記念日となっています。それから終戦まで、あの群像のところにあったユダヤ人学校や老人ホームに集められた人々が、どんどんアウシュビッツなどに送られて行ったそうです。

※虐殺されたユダヤ人達の像。このあたりはかつてのユダヤ人街で、55000人もの住人がナチスによりゲットーに連れ去られたということです。
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人々が希望無く不安の中にたたずむ像のすぐ裏に、ハケッシャーへーフェという中庭が複雑に入り組んだ建物があって、おしゃれなプティックやら、画廊などがたくさん入ってます。アンペルマンショップの一番充実している店もありました。画廊もこの周辺で8件くらい見ました。日本人の個展もありました。またこの辺のメインストリートであるオラニエンブルガー通りは、ベルリン一多国籍になっているようで、インド、ベトナム、タイ、トルコその他その他のレストランや風俗が入り乱れています。今は、寿司もそうですが、むしろタイ料理、ベトナム料理に人気が集まっているようです。 ※グレートハンブルガー通りの元ユダヤ人の家
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※JG1881年からHIER WOHNTEここに住んでいたMAS RAESENERさん(ユダヤ人)は、1941年にDEPORTIERT追放流刑になり、ERMORDET IN殺害されました, tODZで。場所は収容所の一つです。下の人はRIBAとなっています。
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というように、ちょっと歩くと、芸術の歴史、発展の歴史、迫害の歴史、冷戦の歴史に次々と遭遇するのです。ベルリンは何とも複雑な街です。 ※ハッケッシャーへーフェ
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こちらでの滞在は、ホテルが提供しているアパートタイプの宿泊サービスを利用すると安く上がるようです。今借りている部屋もその一つです。行く先々の滞在をアパート型にして連続利用すれば、一人一泊20euro位に押さえられます。
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by fantacl | 2009-11-06 21:16 | ドイツ滞在
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