ミノリン教授のクリティカルな日々。いたずらターリーぬいぐるみ日記もいっしょ。 ★4月~9月までのドイツ研究滞在日記を半年遅れで掲載中です。 
by fantacl
藤田嗣治→レオナルドフジタ
[生誕120年 藤田嗣治展 -今、明かされる伝説の画家のすべて]
東京国立近代美術館 3月28日-5月21日
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  近代美術館は混んでいた。少しグレイシュなピンクの壁面に仕上げた展示室。1点目は芸大の指導教官だった黒田清輝へのアンチテーゼとされる卒業時に描いた自画像から始まる。印象派の影響で、影に黒絵具を使って色を濁らせてはならぬという時代。(その認識は、なんと私が絵を描き始めた頃もそのままなわけだ。今もそんなに変わっていないような気がするが、、)

モジリアニやピカソとの出会いから一時期キュビズムへの傾倒があり、パリでの初個展で認められはじめたヘチマのようにぬるっとした女性像へ。徐々に"乳白色の肌"を確立した30代は最もフジタらしい傑作がつづく。私は、1923年「タピスリーの裸婦」や1926年「アトリエの自画像」が理屈無しに好きだ。藤田が色彩や立体の画家ではなく線とフォルムの画家であることが確立した時代でもある。

戦争画のコーナーは一転してダークグレーの一部屋。これらはプロパガンダを通り越し、戦争の無念や無惨を描ききるむしろ巨大で崇高な宗教画。戦後画壇の迫害や政治で解釈された不幸な時代が長かったらしい。絵画というものは文字通り絵空事が持ち前で、描かれたそれそのものを見て感じるしかないのに、画家の思惑を超えて勝手な利用や解釈がまかり通り事がある。近年フジタの戦争画がもつ本来の意味への再認識が進んでいる。

この時代の前後は、いわゆる油画技法の立体感を捉え様とする色面の筆さばきに画風が変化し、個性が後退する。それにしても、皇居の隣、北の丸の近代美術館での開催は、この戦争画を考えるにふさわしい。

一転して、ライトイエローの明るい部屋に子供を中心としたイラストレーションのような画面がつづく65歳以降の後半生は、厳しい画業追求の姿勢から、一旦リタイアしたような感覚が見て取れる。ちょとマセて一癖ありそうな感じの想像の子供の表情は、今なら奈良美智の様。しかし、藤田本来の線とフォルムの画家が復活し、以降、礼拝堂はフレスコ技法で描くが、死ぬまでこの画風は変わらなかった。私は彼は日本画家だったように思う。

最後の部屋は70代に洗礼したキリスト教の礼拝堂を模した仕上がりとなる。およそ60年に及ぶ、まさにドラマな人生と表現バリエーションに富む画業を日本初公開20点を含む約100点で俯瞰する、近年希に見る充実した企画だった。できることなら会期中あと2回は行って、じっくり対峙したいものだ。

      *   *   *   *   *   *
 主催の日経新聞とNHKがこぞって放送。4月1日には、テレビ東京美の巨人が特集。2日はNHKで「パリの異邦人〜画家・藤田嗣治の二十世紀」が放送された。美の巨人は8日に後半が放送予定。

それらの元となる2002年刊行で大宅壮一ノンフィクション賞受賞の近藤史人著「藤田嗣治・異邦人の生涯」は講談社文庫で求めやすくなっている。
▲東京国立近代美術館皇居側にいつの間にかレストランとミュージアムショップが増設されていました・・・って、ここしばらく行っていなかったのがばれますね。

戦争画の解釈に関しては、こちらが参考になる。●戦争を背負った画家/藤田嗣治
藤田概説はwikipediaで、 藤田嗣治と検索してください。

さらに、朝日新聞社の白鳥正夫氏の文化考なぜ開けない藤田嗣治展は、実は朝日新聞が以前、開催に向け随分努力した様子が読み取れます。
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藤田嗣治展
会場: 東京国立近代美術館
スケジュール: 2006年03月28日 〜 2006年05月21日
住所: 〒102-8322 千代田区北の丸公園3-1
電話: 03-3214-2561 ファックス: 03-3214-2577
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by fantacl | 2006-04-02 21:25 | 美術と展覧会
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